2007年10月25日
認める、ということ。
今のローマ教皇(ベネディクトゥス16世猊下)はどっちかっていうと保守系ってことになっているけど、本来は割とリベラルな方。
だから、先代(ヨハネ・パウロ2世猊下)の採っていた「他宗教との対話路線」は継続され、上記のような会議も無事に開かれることになったわけで。
昔の話。
その中学生はキリスト教徒だった。
親からもらったクロスのネックレスを始終首に下げていた。
保体の教師はそれをアクセサリと断じて取り上げた。
別の話。
そのOLはキリスト教徒だった。
自動車教習所を卒業って時に、教官が生徒全員に交通安全のお守りを配った。
OLが宗教の問題があるから受け取れないと言っても、理解ができないようだった。
OLは受け取ったところで捨てるしかない、あなた方の神様をゴミにするのは申し訳ないから、どうか勘弁してくれ、と頭を下げて逃げた。
どちらのセンセイも真面目で教え子のためを思って行動しているわけだ。
自分の倫理観、自分の宗教観で。
相手のことを考えて行動しないと、善は独善に、義は偽善になりかねない。
まあ、そんな寓話もあるってことで。
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